幸吉のチャレンジ精神
黒蝶真珠、白蝶真珠の養殖への取り組み
真珠の養殖という前代未聞の研究に取り組み、アコヤ真珠の養殖を成功させた幸吉のチャレンジ精神旺盛な姿勢は、他の真珠養殖の研究・実験にも向けられました。
1914年(大正3年)には、黒蝶貝の養殖を目指し沖縄の石垣島に養殖場を設け、その後も沖縄各地で黒蝶真珠の養殖に取り組み始めます。当時、黒蝶真珠といえばその存在さえ幻といわれた希少な真珠でした。台風などの自然の猛威と戦いながらも1931年(昭和6年)には10ミリの黒蝶真珠を浜揚げしたとの記録も残っています。その間にも南洋の島パラオに多数の研究者を送り込み、黒蝶真珠のみならず白蝶真珠の養殖実験にも果敢に取り組んで成果を上げました。
パラオ養殖場事務所。
その後の黒蝶真珠や白蝶真珠の養殖研究の先駆けとして創設され
南の小さな島にまで「MIKIMOTO」の名が浸透することになりました。