日本の近代宝飾産業の礎を築く
斬新なジュエリーデザインを形にする専属工場の設立
幸吉は、自ら開発した養殖真珠を国際的な商品とすることを目指し、真珠等のジュエリー製作にも興味を持っていました。特にヨーロッパ製の斬新なジュエリーデザインや高度な技法に高い関心を示し、日本でジュエリーに関するデザインの充実とその製作技術を導入することを決意します。その第一歩として1907年(明治40年)、幸吉は御木本金細工工場(現:ミキモト装身具)を創設し、御木本独自のスタイルを生み出すことを目指しました。当時変りつつあった女性の和装から洋装への変化を反映し、洋風デザインを取り入れた真珠製品を製作。その後も急速にデザインと技術の向上をはかりました。
1923年(大正12年)頃の御木本金細工工場。
1907年(明治40年)に東京・築地で創業した御木本金細工工場は、
規模拡張によって翌年内幸町に移転。ミキモト製品製造の一大拠点となっていました。